10年前にもいわれていたのに。
お目通し下さり光栄です、京の拝み屋
西陣の拝み屋です。
本日3/30は、ご予約ほぼ満席、オンライン
のみ、やや空きございます。
昨日の天秤座満月は強烈でしたね。
午前3時過ぎに月が満ちてから12時間は
まあまあポンコツ化していました。
とても鮮明な夢をみて目が覚めました。
起きて少ししたら、電話鑑定のご依頼が。
ご依頼下さり、ありがとうございました。
電話鑑定を復活させようと思っています、
いまも受付はしていますが、皆さま結構
対面がお好き笑
スキル的にはえみこのできることは、
電話鑑定でも十分対応は取れます。
情報量の問題なだけで、一回で済ませ
たければ、対面かオンラインできてね、
とは思いますが、実際問題根深い問題が
一回で終わるわけはないのです。
何年もかけて問題に成長させたわけだから
解きほぐすには同等またはそれ以上の時間が
かかるってことを最初に理解すべきだから。
問題は癖が成長した先に生まれた収穫物。
そこには必ず「頑固さ」というキーワードが
生み出されてきます。
この頑固さの取り扱いを間違うと呪詛に
なっていく。
一度人を呪った人が、そのぬかるみから
抜け出すのは、なかなか容易ではありません。
呪詛から得たものがある以上、それを
手放さなければ結局また呪詛に手を染める。
合法的なドラックみたいなもの、それが
呪詛=呪いの正体なのです。
最近「呪術廻戦」の話をします。
一時読んでいましたが、辞めてしまったもの。
鬼滅二番煎じ、みたいに言う方もいますが
理解するためには観なきゃダメかな、と
思っています。
位置付けとして「BLEACH」みたいなもん
かな、個人的には。
呪いを体内に取り込む発想は、理解できます。
ただし、それを凌駕するなにかを自らが
持てば、ですが。
靈氣界に蔓延る「病を処方する手」の存在に
気づいたのが11年前。
荒唐無稽と笑われ、「独立」を余儀なくされ
ながら、それでもどうしても呪詛の存在を
許すことができなかった。
わたしは「えみちゃんだから、できるんだよ」
という言葉が嫌いです。
同じ人間がしているのだから、必ず誰にでも
やりようはある。
ただ、稽古量、知識量、経験値が違うだけ。
同じスキルが欲しければ、同じだけやって
みたら?と思います。
わたし自身まだまだ自分のスキルに満足は
していない。
解けない呪詛も、まだあるわけだから。
靈氣の世界でいうなら「魂を削ったから
臼井甕男氏は死んだ」という言葉自体が
呪いだと思っている。
天から授かりし靈氣が、本当に魂を削らね
ばできぬなら。
あの日鞍馬で、臼井甕男氏はなにとご契約を
なされたのか、と思うから。
尊天のお一人である千手観音こと、せんじゅ
ちゃんは、そんなことは絶対強いない。
個人的に立てている仮説があり、それはきっと
わたしが死ぬまでには実証できるはずなんや、
そう思っているのです。
この強い意志の背景には、感情があります。
20年前デビューしたわたしに「靈氣なんかで
何ができる」と言ってきた人々や、反対に
「貴方のようなものに靈氣を扱う資格はない」
と師範や先輩から言われてきた時代の想い。
どす黒いあの感情が、実は呪詛の種である
ことに、いまのわたしは気づいているから。
そして、その呪いを破る唯一の方法は
「そうじゃない」と行動で示す以外ない。
それを示せるまでやり続けるためには、
感情をガソリンにするしかないのです。
その感情は、得てしてネガティブなものが
ハイオクガソリンになったりする。
ま、感情の引き金を引けなければ、身体は
動かない。
つまり、体を動かすだけの想いがなければ
実現はしない、なぜなら動けないから。
人間は動いた分しか手にできない生き物、
それを忘れずに生きていたいです。
この世に解けない呪詛があることが、
我慢ならない、それがえみこという存在。
解けぬなら、外して見せようホトトギス。
武将?
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