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戒律を軽んじるものには、何も伝えるべからず

手を離されよ、と、先人は申された。

お目通し下さり光栄です、京の拝み屋

西陣の拝み屋です。

本日4/7はご予約満了となりました、

明日4/8はオンラインにてご予約承ります。

ご予約お問い合わせはこちらから。


昨日の昼過ぎから、ご縁を得てこちらに

研修兼ねて来場しました。

特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」、

もうボディーブロー並にいろいろ言われた

気がして、むっちゃ咳込みました。

追い出されるかと思った

仏教における戒律の解釈を、まあ観がいの

ある博物館で拝見した時間。

館内だけで万歩計4,000歩くらい行きました。

神道も仏教も、人によるでしょうが戒律の

世界に在ると個人的には考えています。

形を持てないものは秩序によりその形を保ち

ますから、ごく当たり前のことじゃないかと。

しかし、時代は変わる。

釈迦の戒律を最初に変えたのは最澄、しかし

変えることができるのは本質を理解して

いるから。

本質のわからぬものが変えた戒律は、単なる

野放図へと姿を変えます。

故に仏教では、三昧耶戒(さんみやかい)と

呼ばれる戒律があり、それを知らぬものには

伝えられない戒律があったそうで。


戒律とは、決まりであり、管理法。

法力を管理するために必要な掟、それを

師から受け継ぐことを「受戒」、師がおらず

自ら行うことを「自誓受戒」と申します。

靈氣は、禅僧が編み出したものですから

伝授即ち受戒なのだなあ、と。

靈氣を得た後師範が居なくなっても、

自誓受戒があるから大丈夫なのか、と

納得然りでした、自ら管理したらいい。


三昧耶戒の中に「未熟なものへ密教を

受戒すべからず」という掟があります。

なにを持ち、未熟とするのかも記されて

いる。

結局のところ、本質はその人が自ら受け

取るべきものであり、それができない

段階で戒律を変えることも授けることも

できない。

最近とある講座中に、生徒さんが感極まり

泣かれたのですが。

コロナ禍のいま、ハグすることもままならず

ただ流れていく涙の綺麗さを眺めているしか

術のない無力な指導者がわたしでしたが。

その涙の純度に、一番大切なことは伝わって

います、と教えられた気がして、とても

有り難く愛おしい気持ちになりました。

と思えば一方で「わたしは間違っていません」

と食って掛かる方もいる。

その差異は、本人の本質を知る力にあるの

だな、と思ったわけで。

手を離さねばならない生徒さん、もしくは

ご縁が切れてしまう生徒さんが、たまに

いらっしゃいます。

その度に指導力のなさを突きつけられた

気持ちでいましたが。

そっか、仕方ないのか、と、昨日は思えた日。

戒律を守れぬものに伝える靈氣など、

わたしは持ち合わせていないのだから。


今日だけは

怒るな

心配すな

感謝して

業はげめ

人に親切に


五戒は、臼井靈氣の最も基本的な戒律。

この本質がわからないならば、どんな

受戒も意味は持たない。

管理できない力は総じて暴力なのだから。

臼井靈氣生誕から100年、時代はあまりに

変わりすぎた。

五戒を受け継ぎ、龍神靈氣が降りてきた

理由がわかった気がした日。


西陣の拝み屋の靈氣は、恐らく受戒。

戒律に従い、幸せを手にして、それを

後進に手渡せる人になりたい。

そんな決意をした、一日でした。

着いてきてくださる生徒さんに、どうか

巡り会えますように。