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安心の家 西陣の拝み屋です。
本日9/26(月)は午後からオンライン
にてご予約承ります。
週間スケジュールは2週間ずつ公開中。
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天秤座の新月が生まれました。
本日と明日は、久しぶりで新月の願いを開催します。
天秤座の月は、パートナーシップやバランスについて
お願いするとよく、また経済分野についてもお願い
するといいとされる月となります。
適した願い事は以下の通り。
《てんびん座の新月に適した願い事》
・結婚
・交渉術
・調和
・チームワーク
・社交性・外交手腕
・洗練
・ヒーリング
・相互依存
昨日のBlogで、新月を前にガリレオを地上波で
観たことを書きました。
昨日の定休日、映画館で最新作の「沈黙のパレード」を
朝一で観てきました。
なぜ24日の放送が14年前の「容疑者Xの献身」だったか
合点がいきました、それは伏線だった。
今回のガリレオの軸になっているのは友情と愛。
ガリレオシリーズの面白さはいつものことですが
(とはいえ、東野圭吾ファンの方にはいろいろ思う
ところがあったようで、劇場内は不満の声も聞こえました)
今回は、この逆行に沿ったような韻を踏んでいるところが
見てとれまして。
時間軸が、2017年発で始まって、2019年、そして2022年へ。
さらには、15年という時間を遡るのです。
そこには容疑者Xの献身が公開された2008年が存在している。
「親友」というキーワード、そして過去に対する後悔という
ワードを軸に、物語は進んでいき、やがてラストを迎えました。
物語より、そこにちりばめられたものが、ここ数日の自分に
起こったことに繋がって、本編と全く関係ないところでエンド
ロールを観ながら身体が震えるほど号泣していました。
友に対する過去の後悔は、ありますか?
わたしには、亡くなってしまった二人の友だちが居ます。
2001年に脳腫瘍で33でこの世を去った親友、そして
2019年卵巣癌によりこの世を去った盟友の二人。
2001年の親友の死が、わたしをこの世界へと導くきっかけに
なりました。
その親友は2012年伝授中に突如現われて「またね」と言い残し
二度と会えなくなりました。
このとき伝授を受けていたのがこの親友の小学校からの友人で
あることを知ったのは、伝授が終わった後のこと。
今思えば、あれもひとつの神様劇場だったのかもしれません。
2019年に亡くなった盟友は、辻堂秘密基地を共に運営し、
運命共同体として働いていた相棒。
彼女の身体から病魔が見つかったのは2018年、ちょうど
わたしが上洛を決めて京都へ出ることを決意したとき。
「こんなときに伝えることがいいのか判らないのだけれど」
彼女はそう言いながら、病気のことを教えてくれました。
このとき、わたしの中に二つの選択肢が生まれました。
一つは、上洛を諦めて彼女の闘病に寄り添う。
もう一つは、上洛を決行しつつ、彼女の闘病を支える。
迷った末、わたしは後者を選び、一路京都へ。
その後、わたしが不在になった東の町で何が起こったか
知っている人は知っていると思います。
そこに後悔が無いかと言えば嘘になる、でもあのときもし
前者を選んでいたなら。
きっと。
いまここにこうしていることは、ないのです。
二度と京都へ出てくることは、叶わなかったと思う。
彼女が亡くなって3年が過ぎました。
先日、神奈川滞在中に目の前の空に広がった「彼女の姿」、
それがこのガリレオで言われることの前哨戦だったことの
驚きと、でもこれが靈氣の見せる神様劇場であることに
本当に感動が止まらなかった。
この天秤座新月までの間の数日の答えをすべて観たような
一日でした。
きっと牡羊座生まれの彼女だったので、天秤座の月を選んで
現われてくれたのでしょう。
(ホロスコープで観たら、天秤座は牡羊座の「空」に当たります)
昨日、家人は体調を崩し、わたしは午後から看護に当たりまして。
とはいえ、家事をしつつだったので、施療にはせず。
民間療法と、食事療法、後は予定を全キャンセルしてそばにいる
くらいしかしていないけど。
ふと、もしあのとき上洛を辞めていたら、彼女にも同じことを
してやれたのかな、と、考えたりする。
でも、そのことでわたしが一生上洛せずに終わったとしたら
彼女が生涯苦しんで生き続けただろうことを知っている。
命を賭けた闘病生活の最後がどうなるか、それは2001年に
親友が亡くなるとき、嫌というほどみせつけられたから。
家族ではないものは、家族のようにはしてやれない。
だからこそ、家族同然の関係性の人は、大切にしたいと思う。
盟友は、盟友にしかなり得ず、でもだからこそ、わたしなりに
盟友としてできる精いっぱいを彼女に呈してきた。
だからこそ、わたしはこの街で悔いなく生きねばならない。
いろいろあるとしても、実際にあったとしても、それでも
この街で、納得の行く生き方をしていかなければ。
なぜなら。
彼女の最期と引き換えに、わたしはここに立っているのだから。
平成小野篁の始まりが、この盟友。
その名に恥じぬように生きていかねばならない、仮に誰かに
何かを言われ、されるとしても。
改めて、そう強く決意した瞬間でした。
昨日上映時間を待っている間、久々にLINEをくれた友人が
いました。
「会いたいなって思っていたら、あなたが夢に出てきたよ」
そう書かれていました。
何気なく上映までやりとりをして、月末の神奈川滞在で会う
約束をしたけれど、そこにも意味があったことに映画が終わって
初めて気づき、相変わらずの神様劇場ぶりにちょっと笑いました。
親友をなくして、親友を作ることを辞め。
盟友をなくして、仕事仲間との距離をはかるようになった。
もう二度と何も失いたくない、同じ痛みは二度と味わいたくない。
ずっとそう思って、失わないように生きてきたけれど。
気づけばこの友人とも、もう丸十年、神奈川を引き上げる一番
困ったときに、真っ先に頼ろうと思えたのは彼女だった。
(親友なんて、そんなものだと思うわよ。わたしとあなたも
ずっとそうやってきたじゃないの。)
久々に、10年ぶりで親友が話しかけてくれた気がして、左の
目からだけ、涙が流れ落ちました。
「10年後にまた会えると信じて」
親友が死んだとき、そう言い残されました。
10年目の震災の年に現われたのが、盟友。
彼女が京女だったことも今思うと偶然では無いのだろうと思います。
そして、親友に会えなくなってから丸十年が過ぎ、あの海町に住む
友人を頼る流れになった今年の2月。
あの「遺言」は、いまでも生き続いているのだろうと思うのです。
もしいま、あの海町に住む友人からSOSが発せられたとしたら。
わたしはきっと、必ず何かをしようとするだろうな。
親友なんて、きっとそんな存在。
どれだけ一緒にいるか、じゃなく。
困ったときに何をしてやれるのか、それだけでいいのだと思う。
それだけできっと大丈夫、それだけできっと彼女ならやっていける。
当たり前だよ、だって彼女は、
わたしの、親友なんだから。
またいつか、見送る日が来るとしても、もう恐れない。
次はきっと、きっと言って貰うんだ。
「いろいろあったけれど。
生まれてこれて、本当によかったよ」
彼女がそういってくれる日が、いまのわたしの一つの願い。
空にいる大切な二人が、笑ってくれた気がした朝。
さて、久しぶりに泣きたいだけ、泣きましょうか。
あなたに出会えて、本当によかった。
心から、ありがとう。
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